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【追悼】自由をご自身の人格とされた水田先生(転載)

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あいち九条の会設立当初から代表世話人として長年会を支えていただいた故水田洋さんについて、共に代表世話人を務めて来られた小林武さんの追悼文が『愛知憲法通信』4月号に掲載されました。発行元である愛知憲法会議の許諾を得て転載させて頂きます。

2014年7月 集団的自衛権容認の閣議決定について共同代表の故野間美喜子弁護士と記者会見する水田さん

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自由をご自身の人格とされた水田先生

小林 武(沖縄大学客員教授・あいち九条の会代表世話人)

水田 洋先生がお亡くなりになって、深い寂しさの中にいます。先生は、私たちの世代にとっては学生の頃から、ホッブスの『リヴァイアサン』の翻訳者として、岩波文庫をとおして仰ぎ見る存在でしたが、私がその人柄を直に知るようになったのは、名古屋の市民運動の場です。名古屋五輪の誘致や愛知万博の開催には、市民の福祉に反するとして、自ら現場に足を運んで抗われました。とくに2005年、当時の改憲機運の濁流のような展開に対して、憲法9条を守る1点で結集する市民運動組織をつくろうという全国的な盛り上りの中で、1月22日「あいち九条の会」が結成されましたが、先生はそれに指導的な役割を果たし、その後、代表世話人として会合には毎回のように出席されました。そして、この会の基金とすべく私財を寄付されており、「あいち九条の会」への先生の愛情というべき強い思いがうかがえます。なお、この会発足時の世話人中、先生のほか、江崎信雄、成瀬 昇、野間美喜子の各氏はみな彼岸に渡っておられるため、さらに追悼文執筆に適任の森 英樹氏まで鬼籍に入り、1人残った私が引き受けることになりました。


先生は、その頃までにすでに、アダム・スミス研究で第一人者の位置にあり、日本の社会思想史研究を国際的水準に高めたとされる膨大な著書・翻訳書を公刊して、学士院会員になっておられました。客観的に言って、このような学者が事も無げに市民運動に加わるのは、日本ではまだ稀なことで、場違いの感を与え、人を緊張させるのが通例だと思います。しかし先生は、会議の場では、それがごく小さなものでも、いつも楽しげで、ワイングラスを持ちながらのように闊達に議論に加わっておられました。私が先生から学んだ一番のものは、この、学者として具えるべき、権威と先入観にとらわれない自由の姿勢です。ご自身はそれを、「ヒューマニズムと合理主義」と表現されているようです(朝日新聞2023年2月7日付)。


忘れられないことをひとつ。あいち九条の会の発足を準備する講演会に、加藤周一さんを、先生の級友(1年先輩)というご縁でお呼びできたその直前に、怪我をされたため、先生と私が急遽穴埋め役をつとめた思い出です。2004年11月3日、名古屋市公会堂で3200名の参加を得た大盛会のつどいでした。後に発刊された記録集『私たちは考える』を見ると、参加の皆さんは、汗だくの私の長話には普通の「拍手」を、それにひきかえ短時間で基本的人権を縦横に語った先生の講話には、前後にわたって「大きな拍手」を送っています。まことに偉大なるかな、です。
先生は、戦争中、戦地で日本軍の非人間性を目撃しています。戦後は反戦平和の立場を貫き、日本戦没学生記念会の理事長もつとめられました。偶然ながら、この会の『わだつみのこえ』誌に寄稿した拙稿が活字となった直後に、先生の訃報に接しました。今、政権が「新しい戦前」を準備する愚行に耽っているとき、先生の賢者の思考から改めて学びたいと思います。